多くのリスナーが抱く疑問はシンプルです。「なぜこれほどまでに相手を呪う歌が書かれたのか」という点に尽きます。しかし、歌詞のディテールを丹念に追っていくと、これが単純な嫌悪や誹謗中傷の類ではないことが明白になります。
心理学において、愛の反対は憎しみではなく「無関心」であると定義されます。憎悪とは、莫大な関心とエネルギーを相手に注ぎ込み続けている状態に他なりません。「来世もそのまた次も君を呪ってやる」というフレーズは、永遠の輪廻を超えてなお相手と結びついていたいという、歪みきった純愛の告白でもあります。もし本当に相手がどうでもいい存在に成り下がったのなら、人は呪詛の言葉を紡ぐことすら放棄し、沈黙を選ぶはずです。
『有心論』や『ふたりごと』で世界を肯定する全能の愛を歌い上げた野田洋次郎だからこそ、その裏面に存在する奈落の深さを知っていました。かつて神のように崇めた相手が裏切り者へ堕ちたとき、かつての賛美歌はそのまま同じ質量を持つ呪文へと反転します。『五月の蝿』は、究極の愛が挫折した果てに生まれる、あまりにも痛切な「裏返しの失恋ソング」なのです。