大ヒットを記録し、紅白歌手の称号を得た後も、木山はすぐに専業歌手へ転向しませんでした。この慎重な姿勢こそが木山裕策の真骨頂です。芸能界の流行り廃りに身を任せるのではなく、父親として4人の子どもたちを大学まで進学させ、生活を破綻させないための防波堤として会社員の身分を維持し続けました。
朝9時から夕方までデスクワークをこなし、有給休暇や週末を利用して音楽活動を行う日々。二足のわらじを履き続ける生活は、体力的に極めて過酷でした。しかし、組織で働く同僚の苦労や中間管理職としてのプレッシャーを肌で理解していたからこそ、木山の言葉と歌声には地に足の着いた説得力が宿り続けたのです。
子どもたちが成長し、父親としての大きな教育責任に一定の目処が立った50代の節目に、木山は長年勤めた会社から独立する決断を下します。単なるヒット歌手としてではなく、がんを克服した当事者、そして子育てを走り抜いた生活者としての経験を広く還元するため、本格的なフリーランスの表現者として活動拠点を移しました。